江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第35回「初音のおばちゃま」 江本昌子公式ホームページ

江本昌子の

著者:江本昌子

第35回「初音のおばちゃま」

毎週木曜日更新

作者へのお便りをお待ちしてます。

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我が家の隣は”初音”という飲み屋さん。店のママにしては少し歳を重ねすぎているけれど気の若いかわいいおばちゃま。初音の勝手口が我が家の入り口がある路地と隣接していて、戸が開いていると台所が丸見え。店を開けるまでよく花札をしていた。戸を開けてパッチン、パッチンしている。
横を通っていると
「昌子ちゃんかあ〜?ちょっときて〜」と呼ぶ。
「なに〜?」
「タバコ買うてきてしんせい。これと同じのを」と、言われ、私は見本を持ったまま近所の映画館へ買いに行く。
「おばちゃん、これと同じのちょうだい」と小さな女の子が背を伸ばし受け取る。
「はい、これ」とタバコを渡すと必ずつり銭の小銭をくれて幼心にうれしいお使い。わたしはその小銭を持って、また映画館に行きキャラメルを買っていた。だいたい映画館にキップも切らずに出入りしていたのも変な話だが姉たちもそうしていたのでわたしも右へならえでそうしていた。後から分かったことだが、その昔 大衆演劇場だった頃からのつきあいで”豆腐屋のラッパ音”で出てきた興行主と家を替えっこする前、我が家にこの旅芸人一座を泊めていたので顔なじみになったとのこと。そんなことちい〜っとも知らなかった。どうりで姉たちはタバコを買いに行っては映画を見て帰ってた訳だ。

年に一度あった町内のバス旅行に初音のおばちゃまは若い男と一緒に座っている。あれ?お客さんかなあ、そのぐっと歳が離れた若いおっちゃんは借りてきた猫のように静かでおとなしい。ただ初音のおばちゃまの化粧が恐ろしく厚くて中国雑技団のような目バリと、紅しょうがを切って張ったかのような口紅。一生懸命若作りしているんだろうけどちょっと苦しい。なあんだ、恋人だったんだとすぐに理解できた。

温泉に入り宴会が始まってびっくりした。このおばちゃまの若いつばめが酒乱で暴れだしたのである。3階の宴会場の窓を開け、片足を出し
「今すぐ結婚するっていわんにゃあ、こっから落ちる」と吠えている。父がすぐさま引っ張り込みなんとか落ち着かせたけれども、おばちゃまは顔を真っ赤にしてまんざらでもなさそう。ほかの連中は
「何やってんの、落ちりゃええやんか。死ね、死ね〜!」と、茶碗を叩いて急き立てしていた。

長い間、隣の花札の音もしなかったのに、一年位して戸が開いている。
「昌子ちゃんかあ〜?ちょっときて〜」久しぶりのお使いだ。
「おばちゃん、あのおっちゃん最近見んね〜」
「おう、ありゃおらんことなった。わしの金持って行きやがって!見つけたらぴしゃきあげんといけん!(ただじゃおかないの意)」と、鼻息が荒い。
「ふ〜ん、そうなん」わたしには小銭の方がうれしかった。

昭和50年代頃、郊外のレストランの皿洗いに初音のおばちゃまが来られた。下町の店を閉め近くの兄弟の家に居るのでとにかく外に出たい。給料は安くていいので働かせてくれ、と言われる。結局半年くらい勤められてたのだが体調を崩され入院してすぐに亡くなられた。近くの親戚は地元でも有名な地位も名誉もある大きな御家。家柄の良いおばちゃまがなぜ下町で長いこと商売をはってこられたのか事情はわからないけれども、なんだか好きな人生を謳歌されたんじゃないかと思えた。

「下町は楽しかったねえ、できることならあの頃に戻りたいよ」と、しみじみ言われたのが私達が聞いた最後の言葉だった。灼熱の恋もうらぎりも、幸不幸、運不運もエネルギーに変えて女一人で生きてこられた初音のおばちゃま。天国に行ってもあの好きなイコイをぷかぷか吸ってるんやろうなあ。
「お〜い、昌子ちゃ〜ん。タバコ買うてきて〜」ってそっちで言わんといてね〜。

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