江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第27回「カーネーション」 江本昌子公式ホームページ

江本昌子の

著者:江本昌子

第27回「カーネーション」

毎週木曜日更新

作者へのお便りをお待ちしてます。

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母の日に赤いカーネーションを贈るようになったのはいつの頃からのことだろう。わたしが小学生の時、学校で母の日にこの花を一人一輪ずつ配られていた。
「お母さんに感謝してプレゼントしましょう」
と、下校時に渡されるのだが私のように母がいない家庭は白のカーネーション。クラスでも一人だけだったような記憶がある。家に帰ると先に帰っていた姉、兄のカーネーションが仏壇に飾られていて私のも入れて三本。白い色が質素な仏壇をより貧素に映し出していた。
「おかあちゃん、私を産んでくれてありがとう」
チ〜ン
これが母の日の毎年の行事。

昭和34年、母が亡くなって父が買い求めた仏壇は本当に質朴。街中の仏壇屋さんに父と一緒に行き店頭に並ぶ仏壇ではお金が足らず、店の奥の倉庫にあった安値のを買い、二人でえっちらおっちら抱えて持ち帰った。薄いベニアが黒塗りされていてわたしでももてる軽さ。

平成三年、兄弟でお金を出し合って新しい立派な仏壇に買い換えようという話になった。他界した父が苦労して買った仏壇ではあるがあまりにも質素で貧素で目劣りするということで八人兄弟の唯一の男、長男修が仏壇屋さんと交渉して決めるという段取り。

その時、大きな台風がやって来た。日本列島を南から北までひとまたぎに通り抜け、最大の被害を出した。リンゴ台風である。当時、仏壇は三階建ての店の三階の住居に奉っていたが城造りの屋根はもうめちゃくちゃ。重いソファーも水で動き、テレビも強風で倒れている。足の踏み場もないほどの修羅場となってしまった。仏壇を置いている部屋の窓ガラスは割れ大雨が入って海となっている。
ところが、ところがである。この安げな本当にちっちゃな仏壇だけがしゃきっと何もなかったかのように居座っていて、位牌までが倒れることなくしっかり立ってるではないか!エ〜!!ぷかぷか浮かんでいてもおかしくないこの状態で仏壇だけが負けるもんかと這いつくばってるのを見て皆でゾォ〜っとした。これはきっと両親が「新しいのに替えたら怒るよ」と、言っているようで結局怖くて仏壇を買い換えることは中止にした。

小学校のときの白いカーネーションの思い出は、毎年母の日が来る度、やだなぁと小さな胸を痛めていた。それに母の感謝の気持ちを作文にして提出せよという宿題も書きようがなくて困っていた。
三年生の時、この作文が県展で入選した。
たしか「星になった母がいつまでも空の上からあなたのことを見ていてくれるから悪いことしちゃだめよ、その代わり、良いことをしたらお母ちゃんも嬉しいから良い子に育つようにって見ていてくれるからね」と、姉から言われたことを書き、夜空の星がきれいなのはおかあちゃんだからである、というようなことを素直に綴った文であったと思う。豊かな家庭なら、子供の才能に力を注ぐこともできたかもしれないけども、貧乏暇なし、家事、雑事、遊びに日々追われている私には表彰状一枚もらっても何の関係もないことだった。

去年の母の日、東京の娘二人から真っ赤なカーネーションの花束が贈られてきた。いつも説教ばかり受けてて母ということをすっかり忘れている不甲斐ない親でも感謝の気持ちは最高に嬉しいものである。まだまだ星になるには時間がありそうだ。やっぱりいつもの私らしい私であろうっと!
「花送らんで、金オクレ!」

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