江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第11回「ロバのパン屋さん」 江本昌子公式ホームページ

江本昌子の

著者:江本昌子

第11回「ロバのパン屋さん」

毎週木曜日更新

作者へのお便りをお待ちしてます。

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幼稚園児の時の私は一年中同じ服をきていた。つなぎのGパンと半袖のピンクのセーター、そして短めの赤の長靴。当時のアルバムに写ってるいる私は必ずこのスタイル。生え際から一直線にカットされた究極のわかめちゃんヘアーでズボンのポッケに両手を突っ込み直立不動のものばかり。

冬になって周りが長袖のトックリセーターで寒そうに背中を丸めて写っていても私はこのピンクのセーターで鼻をたらしてがんばっている。洗濯した日はどうなるかといえば、他の服を着ればいいのになぜかパンツ一丁。姉がお下がりの服を持って追っかけて来ても逃げまくって裸でいた。服が早く乾かないかなぁ、と待っている時に限ってロバのパン屋さんがやってくる。


「ロバのパン屋さんはチンカラリン♪ジャムパンロールパンできたて焼きたてチンカラリン♪」白い馬が引っ張る長い荷車の中央に透明の蒸し器が置かれ、湯気の中に白、黄。チョコレート色、クリーム色とおいしそう。家の前の通りには人垣が出来、皆それを買い求めていた。

蒸し器を開けると‘ぷあ〜ん‘と湯気が上がりホクホクにふくれた三角の蒸しパンを紙の袋に入れて渡していた。いつ見ても美味しそうな蒸しパンでそう値段は高くはなかったと思うが買わなかった。いや、買えなかった。私はみんなが列をくんで買っている間、この白い馬とお話しするのが楽しみだった。大きな黒めに長いまつげがきれいに生えて 人間と同じだぁ、と感激していた。

「疲れたやろぅ?重いもんねぇ。ゆっくり歩きいや」馬にアドバイスしてどうする!?パンツ一丁のわかめちゃんを向こうはどう見ていたんだろう。


「ロバのパン屋さんはチンカラリン♪」きたきたきたぁ〜!
遠くから聞こえてくるスピーカーの音にいつも条件反射のように飛び出していた。近所の八百屋さんからわけてもらったにんじんの葉っぱを持って。

今、思うと ロバのパン屋さんと言うくらいだからロバだったのかもしれない、けれどもわたしには馬にしか見えなかった。とにかく農耕馬の様に足首がなかった。
「おじちゃん後ろに乗ってもいい?」
寡黙なおじさんは「おぅ」と言うだけ。荷車の一番後ろにピョコンと座りその乗り心地を楽しんでいた。

何度も道中を共にし、おじさんが商売してる間は馬のフンの始末をしたり、水をやったり、と私も忙しくしていた。市内の街外れのアーケードが切れるところで降ろされ蒸しパンをひとつ紙袋に入れてもらえてそこから来た道を歩いて帰っていった。幼稚園児の足で二時間はかかっていたと思うが全く苦でなく馬と一緒の時間がうれしくて満足して帰っていた。今でももらった蒸しパンの黒ゴマが香ばしかったのを覚えている。

さて、わたしのお気に入りのつなぎとセーターと長靴のことだが、実はこれらは母からの贈り物なのである。
私を産んですぐ入院した母が余命一年と宣告され「家族との思いで作りに」と退院の許可がでて我が家に帰ってきたのが私の幼稚園児の時。

みんなで中華料理を食べに行き、帰りに母が買ってくれた安い服である。
「昌子、これかわいいから買っちゃげるね」
お下がりしか着たことのない私にとって新品の服なんて初めて。まして大好きな母からのプレゼント。
「やったぁ〜ありがとう。かあちゃん」
八人兄弟の末っ子が、みんなの前で母の愛情を独占できたようでうれしくてうれしくて飛び上がりながらなぜか涙がポロンポロンこぼれた。母も幾ばくもない命がふびんなのかぐしゃぐしゃの顔で泣きながら笑っていた。

わたしが あれだけ好きで お気に入りで毎日着ていたこの服をぴたりと着なくなったのは母の葬儀の日からのことである。


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